高校の時の話。
どうもどうもRO2の
田ノ中亮資です。
3日ほど前に中学時代の恩師にあってきた話
それを書いたブログですどうぞ。
ちなみに写真は高校生の。
今日はちょっとお世話になった高校へ
お世話になった中学時代の恩師に
会いに行きました。
今日はそんな話。
恩師がいる高校の近くに来ていたので、
顔を出そうと高校を訪ねました。
そしたら今日は、
高校に専願で受けに来る
中学生たちが集まる日だったみたいで、
僕は完全に不審者で、
怪しげな人感を
醸し出したまま中へ。
ちょうど先生は中学生の
相手をしてるではありませんか。
そこに尋ねるのは忍びないと思い、
帰ろうとすると、
「おいで」とジェスチャーされ、
そのまま教室へ、
中学生に混じって、
一緒に座って話を聞きました。
この後ひさびさに先生と話すわけですが、
なかなか面白いものです。
かつて厳しい先生と、
こうして話す。不思議だ。
少し長く書きます。
「来世も先生」
先生は言いました。
「好きなことをして人生全うするこれもすごいけど、俺は来世も同じことを全うする
これってすごくないか?」
きっと来世も
同じ人生を過ごす言うてはりました。
そのあとに僕が高校を選ぶ時の
話になりました。
僕は高校受験を
バレーボールの推薦で
高校へ上がりました。
その際に、
いくつかの高校から
声がかかってました。
恩師の高校からも誘いを受けてて、
行くか悩んでおりました。
同じ中学校から、同級生も
何人か行く予定でした。
すごく丁寧なノートを書いて、
勧誘していただきました。
しかし、僕は他の高校へ行ってしまいます。
僕のその時の思いは、
「厳しい先生の元で、
バレーするの怖いししんどい。」
って思いもありましたが、
何よりも、僕は仲間に勝ちたかった。
中学時代に同じチームの仲間に
助けてもらってばかりで、
いつも足を引っ張ってる気持ちでいた。
そんときにみんなを見返したかった。
そんな思いもありました。
その時の選択に後悔はありません。
と言ったら少し嘘になりますが、
中居くんじゃないけど、
その時の自分が選んだ
最善の選択やったんちゃうかな。
高校で学んだことあほほどあるし。
「スーパーティーチャー」
先生は中学高校と、
バレー部を全国大会へ連れて行く、
スーパーティーチャーなんですが、
そこまでの仕上がるのに、
22年かかったって
言うてはりました。
まだ挑戦は続いてはりますが、
どこまで行くのやら。
でも、ここ最近、
やりがいってものを
忘れてた気がします。
やっぱりすごいもの作るのって、
しんどいし、鍛錬もいる。
そこに生まれるのは、
しんどさやなくて、
やりがいというか。
なんちゅうんですかね。
「難しくないと面白くないよね。
溢れてるものつまらない。」
いつか誰かに言われました。
先生は、来世もそれをやる。
めげずに続ける。まず、
一発当てろや!って、
そんな心持ちでやれって
おっしゃられました。
中学の時は怖い人やおもてました。
もちろんすごい人なんもわかってましたが、
今思うと、
ちゃんとわかってなかったです。
また決意が満ちた。
そんな1日でした。
兄に肉ご馳走になりました。
ゴチです。ありがと。
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